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「じゃあ三津,私と家を借りようか。」
にっこり三津に微笑みかける入江の肩を,桂は物凄い勢いで掴んだ。
「何ですか。好きにしなさいと言ったのは木戸さんやないですか。」
冗談言うんじゃないみたいなその眼力を何とかしろと言いながら,掴んできた手を払い除けた。
「言ったがそれは話が変わってくる。」
「いやいや,普段から三津の傍におらんのやけぇ変わらんです。」
入江特有の何か腹の底で考えているような笑顔に桂の目元がひくついた。
「冗談いいから早よ食べて。」 https://www.easycorp.com.hk/en/virtual-office
二人の会話のとばっちりを喰らうのはこっちだぞと三津は二人をじっとり睨んだ。
桂はすまんと平謝りで,入江はその目久しぶりに見たと嬉しそうに笑った。
「嫁ちゃん何でこんなんばっかに好かれるんやろな。」
山縣にお疲れと肩を叩かれて,三津は項垂れながらうっすら笑った。
今まで一番近寄り難く,空気の読めない山縣が今や一番まともに見えた。
「山縣さんが一番普通やって今気が付きました……。今まですみませんでした……。」
「おい,失礼にも程があるぞ。」
散々世話を焼いてやってるのにこんな扱いあんまりだと嘆く山縣に,三津は笑って誤魔化した。
その様子が桂には全く面白くない。「山縣君と三津はいつからそんなに親しくなったんだい?三津からすれば山縣君は嫌いな人種だろ。」
「嫌いと言うより苦手ですね。最近克服しました。」
「嫌いだの苦手だの好き勝手言うんじゃねぇ……。」
とんでもなく鋭い言葉で胸を抉る夫婦だなと傷心しつつも言い返した。
そこで夫婦と言う言葉に桂がいち早く反応した。
「どうだ,お似合いの夫婦だろう。」
「いや木戸さんにはもったいない。」
山縣はすかさず抉り返した。三津を歩く問題児と言っているが,あんたの方が問題だらけだと更なる言葉を突き刺した。
山縣からの仕返しに入江は笑い転げたいのを我慢して,肩を揺らしながら静かに笑った。一応敬意は表した。
いつもなら涼し気な顔でやり過ごす桂だが,口をへの字に曲げ,体を小刻みに震わせて思い切り反応してしまった。
「はいはい,良い所も悪い所も全て引っくるめて受け入れてこそ夫婦ですからね。どんな一面も受け入れますよ。」
三津は威厳が台無しねと苦笑しながら桂の背中をぽんぽんと叩いた。
「三津ぅ……。本当に君は出来た妻だ……。」
感激で目を潤ませて三津を見上げて見つめ合ったのに,
「なっ!やけぇ木戸さんには余計にもったいないっちゃ。」
「三津は別に木戸さんだけやなくて誰に対してもそう言う姿勢で接してくれるけぇ。木戸さんが特別って訳でもないそ。」
山縣と入江はここぞとばかりに桂の心を打ち砕きにかかった。三津がお前を許しても俺らは許さんぞの意味を色濃く含ませた。三津を泣かす奴は敵なのだ。
「山縣さん,九一さん,その辺にしといてあげてください。泣いちゃう。」
流石にみんなの前で夫の泣く姿は見たくない。
「いや,流石に泣かん。君まで何を言ってるんだ。」
桂はカッと目を見開いて三津を見た。三津はへらへら笑ってすみませんと言っている。
『また寄ってたかって私を小馬鹿にして……。』
桂はそう思いながら笑う広間の面々を見渡した。そしてその考えを改めた。
『違うな……。何と言うか……温かい……。』
三津が萩へ家出した時から,ずっとみんなとの間に溝があった。元より親しくなんかしてもらってもないし,そう言う関係を築いていた訳でもない。
立場上疎まれる事の方が多い上に,みんなの大好きな三津を泣かす極悪人に成り下がっていた。
そんな風に桂は思っていたが,今感じる空気はまるで違う。
自分をこの空間の一部として受け入れてくれてる温かいモノを感じた。
三津を中心にその温もりが広がっている。そんな風に思えて,やっぱり泣きそうになった。
「完全に立場逆やろあれ。三津さんしっかりしちょるようで結構幼いところあるな。」
高杉は泣くほど嫌か?と呆気にとられた。文も三津を置いて帰るのが若干心配だと片頬に手を当てた。
「泣くほど嫌と言うことは三津はもう私の名を呼んでくれないのか?」
まさか改名で泣かれるとは思わず桂もどうしていいか分からんと呆然とした。https://www.easycorp.com.hk/en/virtual-office
「三津にとっては思い入れのある名前なんですよ。今は混乱しちょるけどそのうち落ち着きますよ。多分。」
「……ちょっと話してくる。」
桂はこのままじゃ桶屋さん宅に戻れないと二人の後を追って広間を出た。
「余計な事言って拗れんかったらええけどな。」
高杉は心配やと呟いたが高杉に心配されるなんて世も末だなと文は笑った。
三津とフサは本堂の階段に腰を掛けて話をしていた。
「三津……。混乱させて悪かったよ。そんなにあの名前が好きなのかい?」
困ったような笑みを浮かべながら近寄ると三津は何度も首を縦に振って答えた。
「名前が変わったら私の事はもう好きじゃなくなる?」
三津の横にぴたりと寄り添ってその肩を抱き寄せた。三津はそんなこと無いとしゃくり上げながら答えたがでも新しい名前は嫌だと泣いた。
「気持ちの整理がつくまで小五郎のままでいいから。」
「ごめんなさい……名前一つで泣いてもて……。」
「いいんだ。そんなに愛着持ってくれてたなんて嬉しいよ。私は三津に愛されてると自惚れてもいい?」
三津を抱き寄せてそのまま腕の中に閉じ込めた。胸に縋りついた三津が何度も頷いてくれるから抱きしめる腕に力が入る。
するとフサは静かに立ち上がって会釈をし,音もなくその場から立ち去った。
『本当に出来た子だ。』
ここはフサの好意に甘えて二人の時間に浸るべきだ。久しぶりに抱きしめた温もりに頬をすり寄せた。「すみませんもう泣き止みます。お腹空いてますよね?すぐに夕餉を……。」
「あっいやっ本当に改名の報告に寄っただけで夕餉は桶屋さんとこで食べると言ってあるんだ……。」
「そうやったんですか?すみません桶屋さんも帰りを待ってはりますよね。ホンマにごめんなさいもう大丈夫!」
三津は乱暴に目を擦ってから顔を上げてにっと笑った。
『また無理して大丈夫って言う……。』
もっと駄々をこねて甘えて縋りついて引き止めてくれたっていいのに,なかなか思うようにはいかない。
「早く帰ってしっかり食べてゆっくり休んでください。」
さっきまでは子供のように泣きじゃくっていたのに今は余裕のある大人な対応をしてくる。表情だって大人の女の雰囲気を纏って穏やかな笑みを浮かべる。この変わりようにいつも戸惑う。
「そうだね。みんなに声を掛けてから戻るよ。本当は連れて帰りたいけど。」
「桶屋さんが困るやろうからやめて下さい。」
何でそういう所は冷静に対処してくるんだ。ついて行きたい一緒にいたいぐらい言ってくれてもいいじゃないか。
「あんまり私と一緒にいたくない?」
「え!?違います!!私なんかに構うよりゆっくり休んでほしくて……。」
「ねぇ何でいつも肝心な事忘れてるの?私は君といると癒やされて疲れが取れるんだ。京に居た時みたいに本当は二人で暮らしたい。隣りで寝たい。なのに何で三津の隣りで寝てるのは九一なの?」
そう吐き出したところで後悔した。また嫉妬で三津を困らせてしまった。じっと見つめてくる目がまた潤んでしまった。
「文さんとフサちゃんが帰ったら私は広間を使います。ちゃんと別で寝ます……心配かけるような真似はしません……。」
「すまない……困らせたかったんじゃないんだ……。」
「いえ,あなたを困らせてるのは私ですから。広間に戻りましょうか。」
三津はにこっと笑って何事もなかったように階段を降りて桂の前を歩いた。
『あなた……。名前で呼んでくれなかった……。』
慣れるまで小五郎でいいと言ったのに何故。しかも妻が旦那を呼ぶ時の“あなた”ではなく他人行儀の“あなた”だった。
その日桂は傷心のまま桶屋邸に帰って行った。
入江が湯浴みに行ってる間に寝床の用意をしていた三津は敷いた布団の上で正座をして大きな溜息を一つついた。
「また喧嘩したそ?でっかい溜息。」
「うわぁ!びっくりした!」
いきなり障子を開けられた三津は大きく体を跳ねさせてバクバク脈打つ左胸を両手で押さえた。
自分が自分じゃなくなりそうな恐怖に三津は精一杯入江の胸を押した。
「ほんっとに何考えてるんですかっ!」
大声で怒鳴りたいところだけどそれを聞いて誰かが駆けつけても困る。押し殺した小声で抗議した。
「ちょっと欲しくなっちゃって。」
そう言う入江の顔は上気して,とろんとした目に三津を映す。https://www.easycorp.com.hk/en/virtual-office
その表情が色っぽく見えて三津の顔は余計に赤く染まる。
「どうぞ自室でおやすみください。邪魔はしませんから。」
入江は何事もなかったように手を振った。三津は何か反論したげな顔で入江を睨むと部屋を飛び出した。
『稔麿も甘いね。どうせ盗み聞きするなら最後まで居たらいいのに。
何で偶然を装って三津さんが出た瞬間を捕まえないんだろうな?』
その詰めの甘さのお陰で着々と三津をつまみ食い出来てるけどと声を押し殺して笑った。
「……振り向いてくれないかなぁ三津さん。」
名残惜しげに遠ざかって行く足音を聞いていた。
『油断も隙もないっ!』
いや,自分が隙だらけだ。仮自室で畳に突っ伏して己を責めた。
掠め取られるどころかガッツリ絡め取られた。
『めっちゃ手慣れてたやん……遊び人め……。』
悔しいがちょっと満たされてしまった。そう感じてしまった自分を恥じて絶叫したい気分。
そんな都合よく叫べる場所もなく。この暴れる心臓をどうしてくれよう。
いっそ取り外して投げ捨てたい。
『穴があったら入りたい……。』
穴はないが……。
『あっ。』
押入れがある。
暗いしちょうどいい。ここにしよう。
三津はのそのそと四つん這いで押入れの中に入って行った。
悶々としながらもそのまま暗闇で寝落ちるのに然程時間はかからなかった。
一方盗み聞きをしていた吉田は入江がえらくまともな事を言って三津を諭し,自分を持ち上げてくれたから油断してしまった。
そして三津が甘えに来てくれるかもしれないと思い,そわそわしながら待った。
でも待てど暮らせど三津は来ない。
『まぁ……休んで時間があればと言ってたしな。』
たっぷり昼寝して夕餉の支度でも手伝ってるのかもしれない。
三津に会いたくて吉田は台所へ向かった。
邪魔をしないようにそっと中を覗くがそこにお目当ての姿はない。
まだ休んでるのか?そう思い今度は仮自室へ向かった。「三津,開けるよ?」
声をかけるが返事はない。そっと戸を開いて中を覗くがそこはもぬけの殻。
「どこ行った?」
傷が疼いて久坂の所だろうか。今度はそっちへ向かってみるも,
「え?来てないけど。いないの?」
それには久坂も不安の色を見せた。
「台所にも部屋にもいない。晋作は一人で出掛けたから連れ出してないはず。」
『まさかまだ九一の所?』
吉田は入江の部屋の戸を許可なく開け放った。
「いきなり何。」
足音で来たのは分かったけどと苦笑して文机から体を離した。
「三津は?」
「ん?来てたけど自室で休むってだいぶ前に出てったけど?」
ここに来るという事は全て探し尽くしたんだろうなと入江は顎をさすりながら三津の居所を考えた。
「部屋には居なかったんだな?」
その問いに吉田は大きく頷いた。戻った形跡すらないよと言う。
入江は立ち上がると仮自室へ向かった。
「だから居なかったってば。」
俺を信用してないのかと後ろから吉田が不満を漏らすも,いいからいいからと笑って部屋の戸を開けた。
がらんとした室内にほら見ろと吉田は腕組みをした。
入江は中に踏み込むと押入れの前で屈んだ。
「ここ見た?」
吉田に顔を向けてにやにや笑いながら襖を指差した。
「いや?だって押入れなんかに……。」
入江がそっと開けると中で身を縮めて眠る三津の姿を見つけた。
「何で?」
吉田と久坂はぽかんと中の三津を見つめた。
「前に晋作に追い回された時もここに隠れてた。
この部屋で寝るのにも身の危険を感じてるのかもな。
で,どうする?起こす?」
適当な距離を置いて三人は座り直した。
「で,何故三津がここに居るんだい?誰が連れて来たんだい?」
重い空気を切り裂いたのは桂だった。 https://www.easycorp.com.hk/en/virtual-office
「何故ってそれは三津が間抜けだからですよ。危機感も学習能力もない。
誰が連れて来たか知ったところでこの状況は変わりませんよ?」
すらすらと出てくる三津を貶す言葉。
『吉田さん酷い…。』
それでも三津は言い返す事が出来なくて押し黙る。
「稔麿…今三津を馬鹿にしたね?
三津は悪くないだろう,勝手に土方の女と勘違いした者が悪い。」
『三津は俺のモノだって言ってるのか?』
吉田の眉間に皺が刻まれる。
言葉の節々や二人の空気から明らかに何か変化があったのは分かる。
自分のいない間に随分と状況が変わってしまっているのが面白くない。
「あの,ここ長州藩邸なんですよね?」
「そうだけど?」
おずおずと質問してきた三津に吉田の“だから何?”と言う鋭い視線が突き刺さる。
「鴨川近い?それやったら自力で帰れるとは思うんですけど…。」
「駄目,さっきも言ったけど浪士に捕まった君が無傷で逃げ帰るなんて不自然極まりない。」
それはごもっとも。三津はしょんぼり肩を落とした。
「それやったら川に突き落としてもらえません?
そしたら命からがら逃げて来た風に見えるし!」
「却下,わざわざ三津をそんな目に遭わすなんて私には出来ない。」
桂は眉を顰めて首を横に振った。
「君って子は自分を痛めつけるのが好きなの?こんな真冬に川に飛び込んでみな,心臓止まるから。」
「なんてね…。言ってみただけですから。」
呆れ顔の吉田に三津は苦笑するしかなかった。
「悪いがこればかりは私の一存でも決められない。明日何とかなるようにするから,今日は大人しくここに居てくれないか?」
桂に申し訳なさそうにされては嫌なんて言えない。
三津は首を縦に振った。
『大事にならんかったらええけど…。』
その夜は小さな部屋をあてがわれ,身張り付きで過ごす事になった。
「落ち着かないだろうけど今日はゆっくり休みなさい。」
用意された布団に正座する三津の頭を,桂は愛おしそうに撫でた。
「ありがとうございます。」
「じゃあ,おやすみ。」
「おやすみなさい……。」
部屋を後にする桂の背中をぼんやりと見つめた。三津の部屋の外には見張りが付いた。
障子の反対側に人影があるのは何とも居心地が悪かった。
それでも精神的に疲れていた三津は,うつらうつらと眠りに堕ちて行った。
『屯所の布団よりふかふかや。』
明日になれば桂や吉田によっていい方向へ転がればいいな。
そんな期待を抱いて,三津は寝息を立てた。
蝋燭の僅かな灯りが暗闇に揺らめく静寂の中。
「おい,見張り交代だ。」
「おお,ありがてぇ!」
寒い中廊下にいた藩士は交代が来た事に喜んで,そそくさと自室へ引き上げた。
それを見届けてから,交代でやって来た藩士は数人の仲間を手招いた。
中に忍び込み,真っ暗な中目を凝らしてぐっすり眠る三津を捉えた。
「敵陣でお気楽な奴だな。」
その姿が藩士達の目には憎たらしく映る。
藩士は三津に跨ると布で口を塞いだ。
「っん!!」
これには流石に目を覚ます。
すぐ目の前にある男の顔に体は強張る。
あっという間に手足を縛られ,軽々と肩に担がれた。
暴れようにも恐怖心が勝った。
来る時は意識が無かったけど,今は自分がどうなっているのかがはっきりと分かる。
誰か気付いてと願うけど,声も想いも届く事はなかった。
「ったく,いい情報聞き出せるかと思ったのにとんだ見込み違いだったなと。」
時は明治。落ち着きつつある時勢のように穏やかな風に吹かれ、はらはらと薄紅色の花びらが舞う。
春の陽射しが、木々のの先に芽吹く新芽たちを暖かく包む季節。
庭先にある桜の木を一人の女が見つめていた。手元には筆と紙があり、誰かへの文をめていた様子である。
女は立ち上がると縁側に立ち、眩しそうに空を見上げると、花弁を掴もうと手を伸ばした。だがそれは手の間をすり抜けていく。
その憂う様な横顔は女としての色香を感じさせる一方、酷く悲しげであった。
雲一つ無い清々しい空を見ると、Virtual Office 再び部屋の中へ戻り文机の前に座った。筆を進め始めたその瞬間、女は激しく咳込み、畳へる。呼吸は荒く、目は潤み、今にも消えてしまいそうな程に肌は青白かった。
それを聞き付けたのだろうか、奥からバタバタと人が来る。桶を手にした、同い年くらいの女だった。
はん!何やってはるん、はよう横にならんと」
桜花、と呼ばれた女は畳に手をついて起き上がると申し訳なさそうに眉を下げる。
「大丈夫よ。ありがとう、お花ちゃん」
お花と呼ばれる女は桜花の旧知である。花は心配そうにその背に手を当てた。
「桜花はん……着替えよか。ようけ汗かいてはるわ」
新しい寝巻きを用意し、手にしていた桶に手拭いを浸す。頷いた桜花はするりと寝巻きをな肩から滑らせた。
白い肌には、その外見からは似つかわしくない刀傷や治らぬ痣がいくつもある。手には剣だこや豆があった。
桜花にとってはそれが誇りであり、此処に生きた証でもある。
「……また、痩せたなァ」
「随分体力も筋力も落ちちゃったみたい。もう、刀は振るえないかも」
残念そうにそう話す桜花は、かつて男として刀を手に取り、血の雨が降る戦場を駆け回っていた。今この平和な時間からは考えられない程、殺伐とした空間に身を置いていたのである。
新たな寝巻きに袖を通し、桜花は再び座り直すと筆を取った。
「桜花はん、寝やんと……」
「……ごめんね。今、書かせてほしい。いつ書けなくなるかも分からないから」
そう微笑む桜花は、まるで名の通りに散り急ぐ桜のようである。花は思わず背を向けて目頭を押さえた。
必死に筆を取るその瞼の裏には一体何が見えているのか、それは本人にしか分からない。
「出来た…」
桜花は満足そうに微笑むと、横になり全身の力を抜いた。
手元には、折りたたまれてしわくちゃになった紙が握られている。それには"未来へ帰る"と書かれていた。
「未来……か」
そして走馬灯のように巡る記憶の数々と向き合い始める。
そっと目を瞑ると、運命が狂った始まりの日を思い出した──
『 様
拝啓 花冷えの季節となりました。こんな日には名も知れぬ貴方の事を薄らと思い出します』
「 桜花の出自はこの時代ではない。元を辿れば、数百年先の"未来"で生まれたのである。
当時、十七歳だった桜花は高校生として、何も無い日常の中で暮らしていた。
五畳程のこじんまりとした部屋に、テレビの中の人の声が響く。
「前世ってあると思いますか?」
「いやー、僕はあると思いますよ。皆覚えていないだけで──」
桜花はリモコンを操作し、テレビの電源を突然切る。暗くなったそれを冷めた目で見詰めると、口を開いた。
「……馬鹿じゃないの。そんなのある訳ないよ」