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信友の身体は暫く小刻みな痙攣(けいれん)を繰り返していたが、やがてピクリとも動かなくなった。
信光は家臣に命じて、その絶命を確認すると
「──お見事」
大和守家の幕切れを締め括るように、一段と重々しい声で呟いた。
ザザーーッ
信友が切腹して果てた僅か数時間後、晴天であった尾張の空に突如暗雲が立ち込め、どしゃ降りの大雨となった。
特に信長のおわす那古屋城周辺は雨が激しく、雨水でぬかるんだ地面の土が縁まではね上がって来る程の勢いである。
御殿の雨戸も全て閉じられ、外で作業していた下男や下女たちも忽(たちま)ち奥へ引っ込んだが、
城主たる信長は、自ら居室の縁側まで進み出て、降り止むことを知らぬ豪雨を何かに憑(つ)かれたように眺めていた。
まるで滝の内にいるように外は真っ白だったが、それでもお構い無しに目を向け続けていると
「──お寂しゅうございますな」
横から濃姫が、音もなく現れた。
「…お濃」
「庭の桜。ちょうど散りかけの今頃が風情があって美しゅうございましたのに、この雨では花弁が全て散ってしまいまする」
濃姫は庭に向けて一つ溜め息を吐くと
「清洲の件、先程千代山殿から伺いました。おめでとうございまする。これでまた一歩、尾張統一に近付きましたな」
やおら晴れやかな面持ちで頭を垂れた。
「“尾張は”な。天下にはまだまだ遠い」
「これから一つ一つ手中に治めてゆけばよろしいのです。気付いた頃には何もかも、殿が描いた夢の絵図通りになっている事でございましょう」
「嬉しい事を申してくれる」
「殿の夢は、私の夢でもございますから」
妻の暖かい言葉に、信長の顔にも自然と笑みが溢れる。
「じゃが、天はそうは思うておらぬようだ」
「天?」
「見よ、空が泣いておる。きっと守護代の死を哀み、また、叔父上に偽りの起請文を書かせた儂に憤慨して泣いておるのであろう」
「…そんな…」
濃姫が複雑そうな表情で夫を見やると
「安堵致せ、例え天を敵に回したとしても、儂は決して負けぬ。そなたと共に天下を、そして世界を見るまではな」
悪戯っぽい微笑みを浮かべながら、信長は決意的に述べた。
「雨が降りやめば、次には必ず日が射して参る。日が射せば天空に虹がかかる。儂は常にその虹を追い求めていたいのじゃ」
「されど虹は儚きもの。いつまでも空にかかってはおりませぬよ」
「だから良いのではないか。儂はな、決してこの手に掴めぬものを、掴もうと足掻き続けていたいのだ。この国の天下や世界などが、僅かな目標と思える程にな」
「まぁ。世界が僅かな目標になってしまっては、後に目指すものの方がちっぽけな目標になってしまいましょう」
「何、気の持ち用の話よ」
信長はニッと白い八重歯を見せると、何とも気持ちの良い笑声を立てた。
つられて濃姫も、ふふっと上品な笑い声を漏らしていると
「殿!お捜し申しましたぞ! ──おうおう、雨戸も閉めずに、縁がびしょ濡れではありませぬか」
家老の内藤勝介が小言混じりに駆け寄って来た。
「内藤か。如何致した?そんなに慌てて」
「殿。織田信光殿、お出ましにございまする」
「おお、叔父上が。思うたより早よう参られたのう」
「早速に中広間の方へお入りいただきましたが、何ともまあ、胸をこれでもかというほどお張りになられて、それは威風堂々と廊下を闊歩しておられましたぞ」
その様を再現するように勝介は大仰に胸を張ってみせる。
「ははは、さもあろう。何せ此度の功労者じゃからな」